2016年5月16日月曜日

サイゴン港 -ベトナム13日目-


同室のやかましい若者の一団に昨日喋り掛けられたんですが、中国人ではなくてベトナム人だそうです。全然違うやん…
一回脳内で中国語のテロップが出てしまったら、もう中国人にしか見えなくなってました。そのぐらいは分かりそうなもんですけどね…
歳はみんな20歳台前半、ハノイから来たチアリーディングチーム(応援団?)なんだそうです。年の頃はサッカーサークルの合宿っていうニュアンスもあながち間違いではないような…。マナーモードを知らないのはこの国では彼らに限ったことではないですが、着メロ爆音な上に彼らは着メロに合わせて熱唱するのが辛いですね。僕が寝ようとしてる時に斜め下のベッドのスマホがフラッシュしはじめたかと思うと、爆音着メロが

♪シュシュっと参上〜(参上〜) シュシュっと忍者じゃ〜ん
巻きおこせ勇気の!ハーリーケーーン!!!



…ベトナムでもう2度目です。なんでちょうど我々が小さい頃のやつが人気なんでしょうかね。。
そういうことで、たぶん彼らも悪い人ではないんでしょうが、この部屋は少し眠る環境としては好ましくないので宿を変えてみました。値段が下がって街中に近づき、風呂場も綺麗になりました。トイレと2,3m距離があって排水先がトイレと別れてますから文句なし。三段ベッドの一番上ですがこの際何の問題もありません。
ひるめし
…且つ、おやつ。ベトナム風おぜんざい、チェーです。冷たくてめちゃうまなスイーツですが、具は小豆のような豆やサツマイモのような芋、ナタデココ?などお腹がふくれるものがメインです。適当に頼んだので詳しい中身は分かりませんが。少食スイーツ男子(白目)の僕はこれで昼ごはんとします。
それで昼過ぎは宿に居て、ネットに載ってる観光地は昨日あらかた行ったし、今日は明日のバスのチケット取るしかやることがないなあと考えてたんですよ。んーでも何か満たされないんです。「ホーチミン」ならまだしも、「サイゴン」にはもっと、こう、漠然と、僕を惹きつける何かがあるはずなような気がしてたんですよね。サイゴン…サイゴン…、と考えているうちにこのモヤモヤの正体が降ってきたように分かったんです。

石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。

この文、覚えがある方も多いんではないでしょうか。我々が高校3年の時、国語の授業でやった森鴎外の「舞姫」の書き出し部分です。(東大京大に何十人も通すような進学校ではもっと早く先取り学習していたかも分かりませんが、僕の高校はそういう凄い進学校では全くなかったので普通に受験勉強と並行して高3でやりました。)「舞姫」は日本人の主人公・太田豊太郎(モデルは森鴎外本人といわれる)がドイツに留学中、ドイツ人のエリスと恋に落ち、紆余曲折を経て悲劇的な精神崩壊エンドに至る物語ですが、この書き出しの後にはこう続きます。

五年前の事なりしが、平生の望足りて、洋行の官命を蒙り、このセイゴンの港まで来し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新ならぬはなく、...

ということで物語の舞台は主にドイツですが、このドイツでの出来事を主人公が書き記しているのはドイツから日本に帰る途中の中継地、サイゴンの港に停泊中の船、ということになっているんです。
「これや!サイゴン港や!」と思い当たり、場所を調べてホステルを飛び出します。雨の匂いがしたので折り畳み傘を取りに戻ると、再び出てきた時には雨でした。冴え渡ってます。

到着直前にスコールに遭って30分ほど足止めを食らいましたが到着
ここが本当に舞姫の舞台のサイゴン港かははっきりしませんでした。しかし現在のサイゴン港はここであり、サイゴン港のWikipediaには「仏領インドシナ時代より重要な貿易港であった」と書いてあったのでこの地で間違いないのでは、と思います。

Since 1863 と かいてある
海を渡る大きな船が寄港できそうで、サイゴンの市街地に最も近いポイントはこの辺りですし。(何か情報をお持ちの方は頂けると嬉しいです。)
サイゴンは海沿いの街ではないので海から少し遡上した先の川の港になります。宿から歩いて行ける距離でした。現在では貨物船がメインのようでしたが、一応旅客便もあるようで小さな荷物検査場がありました。
反対側
ホーチミンの高層ビル群が手前側に見えます。舞姫が発表されたのが1890年らしいので120年以上が経過したことになりますか。
普段本なんかろくすっぱ読まないくせに、舞姫の舞台だったってだけの今は静かな港になんでまたわざわざ、とお思いかと思いますが、この「舞姫」の授業が妙に印象的だったんです。(こんなこと言うとまた同級生に「いやお前ずっと寝とったやないか」と怒られてしまいますがw)
僕たちに現代文を教えて下さってたのは母校の名物教師でして、語り口も授業も極めて独特、全くスパルタではなかったので僕みたいなクソ生徒は寝たりしてましたけど(ごめんなさい)、こんな僕でも今でも頭に残ってるのはひとえにこの先生の話が面白かったからなんですよね。一文目の「石炭をば早や積み果てつ。」の解読だけでずっっと授業やってるんですよ。寝て起きてもまだ一文目なんです。こっちは受験前ですよ?でも確かに話聞いてると、ああ、このぐらい時間割くほどの内容やわ、となるんです。詳しくは長くなるので書きませんが、この一文から驚くほど多くのことが読み取れる、てな授業でした。主人公の友達が行ったという「ホテル」がベトナム料理屋じゃない、時代背景から考えるとおそらくフランス料理屋だ、という内容に行き着くまでにひどく時間がかかっていたことが思い出されます。もちろんその先もじっくり読み解いていったわけなんですが、とにかく導入部だけでもすごくじっくり読んでたので、ドイツよりサイゴンの情景の方が印象に残ってたわけですね。いやまったくもって面白い授業でした。今でも突然脳裏によぎって港に走らされるの、なんか妙な感じがします。
(そんな先生の授業がこの度、本になりました。舞姫の話ももちろん載っています。しょっちゅう寝ていた罪滅ぼしに貼っておきますので、ご興味ある方はこちらから。アフィリエイトとかではなく、僕には1円も入ってきませんので安心して買ってみてください!)

船上レストランがありましたが
「ELISA」...?精神崩壊エンドを迎えたヒロインの名前はエリス、そしてそのエリスのモデルとなった森鴎外の元恋人の名前はエリーゼです。もしかして関係があるんでしょうか......検索する限りそのような情報はないですが...。この写真の奥側が海、船はこの奥側に向かって出港していったはずです。およそ130年前、この向こうに待つ日本に出港するまでの間、豊太郎は、そして鷗外はこの地で何を思ったか..........なんちゃって。ここじゃない可能性もありますからね。ここまで語っておいて舞台がここじゃなかったらウケますね。僕はウケます。
港の周りは大型店舗が立ち並ぶ感じでした
 この近くの川沿いから市民劇場(観光の中心らしい)を経てサイゴン大教会へ続くオシャレ通り、ドンコイ通りを歩いて、宿の方へ帰ってみました。なんのことはないオシャレ通りでしたが、そういえば!昨日日本人常駐の旅行代理店に行ってみたら、「デモあったらしいですよ?影響なかったですか?ドンコイ通りとか封鎖されて、殴り合いの喧嘩騒動とかも起こってて大変だったみたいですよ?」って言われました。昨日はそっち方面に行ってないので全然知りませんでした...。ちょっと見てみたかったような気もします、。いわく、「お昼ぐらいから当局に規制されてFacebookとかもまったく使えなかったんです」とのこと。んー、ベトナム。まあそれなら気づき得ないし、仕方ないか。思えば確かに昨日はケーサツや軍隊が街にいてピリピリしてたわ。そういうことね。惜しかったです。

ばんごはんです
バックパッカー街の屋台風の店で適当にやきとりです。豚肉と野菜串、それにダチョウ串です。ダチョウ、普通でした。油分の少ない鶏肉みたいな感じ。宿に帰ってお疲れさんという1日でしたね。

で、写真を見てもうお気づきでしょうが、天気が崩れました。天気予報を見ると、今週ずっとカミナリマーク。カンボジアも、タイも、ずっとカミナリマークです。これもしかして、、、、、、雨季?

はい。というわけでね。明日はいよいよベトナム出国の予定です。ベトナムにビザなしでいられるのは15日間なので、まあそろそろってわけですね。 大した金も落としてないのに楽しませていただきました。ベトナム。また来たいもんです。

4 件のコメント:

  1. オールドスクール2016年5月17日 12:20

    学がありすぎませんか??

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    1. いやいや、高三の時の授業の曖昧な記憶を元に調べながら書いてますので、僕自身に学が備わっているわけではないですよ。決して。

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  2. えっ、今年の舞台『ミスサイゴン』の主役にダイヤモンド☆ユカイが選ばれた話でもする?(☆は六芒星)

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